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鷺沼教会月刊誌 Communio (コムニオ 一致)
鷺沼教会では『Communio (コムニオ 一致)』という名の教会報を毎月発行しています。
ここでは、その『Communio』より司祭巻頭言を転載いたします。

2017年9月号
劉暁波氏の言動からあらわれるもの
主任司祭 松尾 貢
 

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天安門事件(1989年6月4日)
「清い魂は真珠のように海の底の貝の中に隠れているので誰も見とれたりはしない。それを陽のもとにかざせば真珠は輝いて人々を惹きつける」。19世紀初めに活躍したアルスの聖者ヴィアンネの言葉です。二千年前に発せられた福音の真珠は、平和主義、人権主義、民主主義、平等主義の形をとって今まで何度も歴史の危機を救ってきました。

 この夏、7月13日に中国瀋陽市の病院で亡くなったノーベル平和賞受賞者で作家・民主活動家の劉暁波氏が思い出されます。「私には敵はいない。憎しみもない」という彼の言葉はなんと福音的な響きをもっているのでしょう。キング牧師の非暴力による公民権運動、英国からの独立を勝ち取ったガンジーの無抵抗主義の21世紀版を思わせる彼の生きざまをよく表していると思います。

 1989年の民主化運動・天安門事件の中心人物の一人だった劉氏は、数回の逮捕・投獄にも拘わらず執筆活動を通して民主化を訴え続けました。
 2008年には「08憲章」(一党独裁の終結、三権分立、民主化の推進、人権状況の改善などを求めた文書)の取りまとめ役を果たしましたが、その後「国家政権転覆罪」の罪名で投獄され、ノーベル平和賞受賞式に出席することができませんでした。今年5月に末期ガンであることが報じられ、一時的に出獄が許され入院していましたが、この夏61歳で帰天しました。ドイツのメルケル首相が中国当局にドイツで先端治療を受けさせたいと申し入れましたが、遠距離だからという理由で断られたと伝えられています。より近い日本で治療を申し入れる勇気を安部首相に求めるのは土台、無理な話だったのでしょうか。

「私には敵はいないし、恨みもない。私を監視する人も、取り調べる警察官も、起訴する検察官も、判決を言い渡す裁判官も、皆、私の敵ではない。私は彼らの仕事と人格を尊重する。恨みは個人の知恵や良識をむしばみ、社会の寛容性や人間性を壊し、一つの国家が自由で民主的なものへと向かうことを阻むものだ」。このような言動こそ、中国共産党当局にとってはもっともやっかいな、取り扱いにくいものだったに相違ありません。<国家のためには個人は犠牲となって当然>という共産主義者たちの理念とはまったく正反対の価値観と発想だからです。

 劉暁波氏はキリスト者ではありませんでした。しかし、一般のメディアでは触れられていませんが、実は、劉氏はキリスト教信仰・思想に極めて近い考えを持っていたことで知られています。天安門事件以前からアウグスティヌスの『告白』を好んで読み、人間の神に対する罪性や悔い改めといった課題に関心を持ち、「中国人の悲劇は神を持たないという悲劇だ」と述べていました。1996年から99年にかけて大連の労働教養所に収監されていた時期には、アウグスティヌスのほか、トマス・アクイナス、ルター、カルヴァン、ボンヘッハー、バルト、ハンス・キュング、ドフトエフスキーなどの作品を読みこんだといわれています。特にボンヘッハーが牢獄においても信仰ゆえに希望を持ち続けていたことに励まされ、奥さんへの手紙にもボンヘッハーの言葉を度々引用していたそうです。「……もし希望がないならば、苦しみの中から意義を見出せない。希望を理解できなければ人間の存在を理解できない。生きる勇気は希望のみが与えることができ、希望は神と愛とイエスの十字架から来るのだ」。

「おそらく私は永遠に信徒にはならないかもしれないし、組織としての教会に入会することもないかもしれない。……しかし、イエス・キリストは私の人格における模範だ」と語る彼はまさに、“匿名のキリスト者”であることをあらわしているようです。


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