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鷺沼教会月刊誌 Communio (コムニオ 一致)
鷺沼教会では『Communio (コムニオ 一致)』という名の教会報を毎月発行しています。
ここでは、その『Communio』より司祭巻頭言を転載いたします。

2019年2月号
とりくむ
協力司祭 榎本 飛里
 

ヤコブと天使の決闘(ルロワール画) 私が「取り組み」を話題にした場合、多くの人が相撲を連想しはしないかと危惧しております。今笑ったあなたも、決してこれが杞憂では無いことを証明しているようなもの。色々と考えるところはありますが、とりあえず、……ありがとうございます。

 ところで、「取り組む」を和英辞典で調べてみるとgrappleという語が見つかります。これは「取っ組み合いをする」という意味もあり、どうやら日本語でも英語でも考え方は同じようです。つまり、取り組みは全身=全存在を駆使して行われるもの。つまり、取り組みはしんどいもの。このような人の考え方・感じ方は万国共通のようです。
 取り組むのがしんどいからといって、人がそれを嫌々行っているのかというと、それは違います。たとえば、途中で投げ出す前提で何かに取り組む人はいません。困難な課題に取り組むにしても、必ず貫徹するという決断を先に持っているものです。最終的にどうなるか、予想がつかないような状態においてさえ、人は「満足のいく結果」を得ようとして取り組み始めます。
 それでも、実りが見えないとやはりしんどい。途中で投げ出したくなるときもやってきます。そんなときには、お手本をチラ見してみるのが良いでしょう。具体的には神の取り組みです。「時は満ちた」という表現は、神がかねてからの計画にいよいよ取り組み始めたということを意味しています。人間的取り組みを遥かに超える時間軸の中で行われるこの取り組み、悠久の時を待つことからすでに始まっていました。そして、人間に trial & error を繰り返させることで、真に必要なのは神だけであることを体験させる。どれだけ大失敗に見えても余裕のよっちゃん(死語?)。まあ、神ですから。

 一方、人間界にはPDCAサイクルなんてものもあり、人間的努力や工夫が徹底して要求される場面もあったりなかったり。このような「失敗を許さない雰囲気」は人間由来のものです。「だから悪い」とは言いませんが、生きづらさを生み出してもいます。先に述べたような「満足のいく結果」が得られないと取り組みの継続がキツくなってくる。ここでひとつ、気をつけなければならない事柄があります。それは、「真の実りがあるか無いか、人間には判断できない」ということ。……毒麦のたとえにある通りです。

 チョッと荷を軽くしましょう。思い出して下さい。神は「結果を出す」ことを求めてはいないということを。神が人に求めるのは訥々と「取り組む」ことです。私たちに求められているのは、「はい」と「努力」と「工夫」。同様に重要なのが、結果を委ねること・それを受け容れること。なぜなら、人間が取り組むこと無しに神は結果を出すことができないからです。あなたが真剣に取り組むとき、神が結果を出して下さいます。


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