2000年の暮れ、ドン・ボスコゆかりの地を訪ねる旅をしましたが、最後の2日ほどパリに寄りました。2001年の元旦、モンマルトルのサクレ・クール(聖心)大聖堂のミサにあずかりました。パリを一望できる丘の上に建立された白亜の大聖堂は、観光の名所にもなっているようです。 数十名のシスター方が内陣脇に居並び、信徒とともに合唱する荘厳なミサでした。祭壇上壁面の、イエスの聖心のモザイク画像、聖心を礼拝する聖女マルガリタ・マリア・アラコクのモザイク画像が印象的でした。
1873年、国民議会が建立を議決し、1919年に聖別式が行われています。その主祭壇には聖女の遺骨が納められているとのことです。 今年の聖心の祭日は、6月27日(金)です。この祭日の制定に深く関わっているのがこの聖女です。作家の高橋たか子さんが、聖女の手記、自叙伝、同時代の修道女の回想録などを資料とした伝記を書いていますので、読んでみてください。
(『神の海 − マルグリット・マリ伝記』講談社)
しばしば聖女の前にご出現された主イエスは、1675年6月、聖体の祭日後の8日間中のご出現の折に、聖心の祝日の制定を求められたのでした。 1899年、レオ13世教皇は回勅「アンヌム・サクルム」を発布し、イエスの聖心の信心を呼びかけています。イエスの聖心はイエス・キリストの無限の愛のしるしであり、表現である。この愛はわれわれが互いに愛し合うように促している。したがって、われわれがわれわれ自身を聖心に奉献するのは当然である。聖心に対する尊敬、奉仕、愛はキリスト自身に対するものだからである……と。そして、1900年に、全人類をイエスの聖心に奉献したのでした。
レオ13世は、晩年のドン・ボスコにローマの聖心大聖堂建立をも委ねています。この時、サレジオ会の評議員たちは、年老いたドン・ボスコのことを気遣い、全員反対しました。しかし、ドン・ボスコはかえって彼らを諭し、この大事業を引き受けたのです。資金を求めてフランスにも行きました。あいにく、フランスでもモンマルトルの聖心大聖堂建築のため、寄付を募っているところでしたから、フランスのサレジオ会員は「ドン・ボスコ、今フランスで募金することは無理ですよ」と言ったほどでした。でも、ドン・ボスコを尊敬する人々は寛大に援助したのです。彼は東奔西走して、ついに完成させます。1884年5月14日、聖別式の間、何度も老いの目をぬぐったのでした。国民議会の議決によって始まった、パリ・モンマルトルの聖心大聖堂より30年も早く落成しているわけです。
1956年、ピオ12世教皇は、回勅『ハウリエティス・アクアス』(イエスの聖心に対する礼拝の動機と基礎について)を発布して、イエスの聖心と聖母の御心の信心との深い結びつきについても説き明かされています。「神は、人間のあがないのわざを行うにあたって、聖母マリアがキリストと密接に結ばれることを望み、その母の愛と苦しみに密接に結ばれたイエス・キリストの愛と苦しみによって、われわれが救われたのである。イエスの聖心に対する信心を果たした後に、天上の母の最愛の心に、尊敬と愛と感謝と償いを捧げるのは当然のことである」と。現在、イエスの聖心の祭日の翌日が、聖母の御心の記念日になっています。
2000年の暮れから2001年にかけての旅の中で、ローマとパリの聖心大聖堂を訪れることができたことは幸いでした。
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