一晩中雨が降った後、1978年2月5日の日曜日を迎えました。太陽の姿は見えませんでしたが、かなり明るくて静かな朝でした。5つのアルゼンチン管区から、一年間の修練期を終えた18名の初誓願の日でした。前日から各管区から管区長、会員や親戚が到着し、修練院は普段と違う雰囲気に包まれていました。当日着く予定の人たちは、前日からの雨により泥沼となった道路で立ち往生したため、何人かの修練者が作業服に着替えてトラクターで助けに行きました。
修練院はサンタ・フェ県(ブエノス・アイレスから500km北)にあり、アスファルトの国道からは5km離れた場所で、250ヘクタールの牧場でした。雨が降ると道はツルツルすべる泥沼状態になり、普通の車では通行できなくなります。牧場には250頭ほどの牛が放牧され、養蜂場、みかん・いちじく・梨の果樹園、麦・とうもろこしの農園の他に、湖のようにも見える繊細な青紫の亜麻が群生している印象深い場所などもありました。
その日、ミサは当然のことながら時間通りに始まりませんでした。しかし、誓願式は家庭的雰囲気と、修練期の終わった青年たちが醸しだす焼き立てのパンのような熱意に包まれて行われました。オルガンとギターの音に、牛や小鳥の歌が加わりました。説教の中で、修練長ははなむけとして、霊的父親の心をこめた「毎日が新しい一日でありますように」という言葉を贈ってくださいました。25年たった今もその言葉は私の中に生きています。あの時はこの言葉のもつ深い意味が良く分かりませんでした。しかし、年と共にこの言葉には、生きる秘訣そのものである素晴らしい知恵が隠されているのではないかと思うようになりました。
毎日太陽が昇り、新しい一日が始まります。太陽の光を浴びて大自然は目覚め、世界は、色、音、命でいっぱいになります。動物の声だけでなく、樹の中を樹液が流れる音、植物が成長していく音、揺れ動く音など、ハーモニーに満ちています。大自然が新しさについて語り、新しい気持ちで、新しい一日を生きるように招いてくれます。大自然の新しさは毎日太陽が出るおかげです。同じようなことが私たちの人生についても言えるのではないでしょうか。私たちの人生に毎朝太陽が昇ると、新しい一日になれるのではないでしょうか。クリスマスのお祝いの根源には、暗闇に打ち勝っていく勝利の太陽があります。暗闇を照らしていく太陽はイエス様です。この勝利の太陽は私たちの人生の様々な時、状況などに現れます。ある時は全体に光り輝いて、ある時は小さな日差しのように……ある時は特別な出来事やしるし(特別は人との出会い、結婚式、出産……誓願式、叙階式……)、しかし多くの場合は目立たないものを通して(一言、微笑み、眼差し、小さな親切、思いやり……)。
毎日が新しい一日であるためには、
◇現れた太陽に自分の全てを向けること
◇光、真理、命、愛、兄弟愛……に心を開く
◇過去に留まらず、
◇前に目を向けること
◇希望を持つこと
◇神様に引き寄せられること
◇内面的な呼びかけに気付くこと
◇マリア様のように全てを心に納めて思い巡らすこと……
太陽の光によって目覚めた時
◇行動をとること
◇今を一生懸命に生きること
◇自分の一番良いもの、全てをかけること……
気付いたら25年経っていました。この期間、特にこの9年間の鷺沼での修道生活を様々なかたちで支えて下さった方々に感謝申し上げます。皆様を通して、救い主である神様の現存と働きに触れることによって(体験)、私の奉献生活が導かれ、支えられ、元気付けられました。これからも鷺沼教会共同体の一人一人にとって「毎日が新しい一日でありますように」お互いに祈り、心と手を合わせて協力し合いましょう。 |