有名な作家たちの全集に、彼らの書簡なども収められていますが、私は聖人たちの手紙に特に関心を持っています。
1978年から1980年にかけて、研修期間をいただいてローマのサレジオ大学で過ごしました。その時は、ドン・ボスコの手紙をせっせと読んだものです。
イタリア語の『ドン・ボスコ書簡集』4巻には、約3,000の手紙が収録されています。8月のローマでも、北側の部屋でしたら、案外爽やかなので、苦心しながら読み進んだことを、今でも懐かしく思い出します。
それから、ドン・ボスコと共に、サレジアン・シスターズの創立者となった
聖女ドメニカ・マリア・マザレッロの書簡集も買い求めました。幸い今では邦訳されています。
さらに、大聖テレジアと言われてきたアヴィラの聖テレジアの書簡集(イタリア語訳)も手に入れました。
ところが、1979年の暮れ、私が働いていた大阪星光学院から、翌年度のスタッフが足りなくなるので、帰国してほしいと要請があったのです。ドン・ボスコ書簡を通して見た「ドン・ボスコの霊性」といった論文をまとめてから、ヨーロッパを一巡して帰国しようという計画は、不可能になったわけでした。
その頃、倉橋神父様が、ボリビアに行く準備として、スペインのマドリッドでスペイン語の研修中でしたので、せめてスペインだけでもというわけで、クリスマス休暇を利用して、急遽スペインへ向かいました。
マドリッドで倉橋神父様の滞在していたサレジオ修道院にまず泊まり、後は一人で、聖テレジアと聖フランシスコ・ザビエルゆかりの地を巡ったのです。
聖テレジアは、1535年、アヴィラのカルメル修道院に入っています。その時代をみると、1517年、ルターによるいわゆる「宗教改革」が始まり、1540年、「イエズス会」が修道会として認可され、聖フランシスコ・ザビエルが来日したのが1549年です。カトリック教会自身の革新、福音宣教熱の高まりといった大きな変動の時代でした。
このような時代に、聖テレジアは、十字架の聖ヨハネとともカルメル会改革に尽力し、各地に修道院を創立していったのです。「観想における活動の女性」、「神体験を豊かに秘めたヒューマンなひと」と言われる聖女は、深い霊的著述の数々と書簡集を残し、教会博士の称号を与えられています。
残念ながら、イタリア語訳の書簡集はまだ読み通してはいないのですが、聖母文庫『アビラの聖女テレサの手紙』には、聖女の妹と弟に宛てた、大変人間味あふれる32通の邦訳が収録されていて、最近それを読むことができました。
手紙といえば、尊者チマッティ神父の手紙も、コンプリ神父様の手で訳し始められています。私も神学生時代の中間期、つまり教育の現場で働く実地課程期に、チマッティ神父様からたくさんの手紙をいただきました。私の修練期は、前半がダルクマン神父様、後半は当時の調布サレジオ神学院の院長であったチマッティ神父様ご自身が修練長をなさって下さいました。そんなわけで、私のほうからも、たびたび報告やら、時には泣き言を書き送ったのでしょう。その都度、必ずご返事を下さいました。私の手紙の裏側に書かれていたり、小さな紙片に書かれたものだったり、とにかく、励ましやら、心得やら、短いけれども心のこもった手紙でした。
聖フランシスコ・ザビエルの手紙でしたら、河野純徳訳『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(平凡社)、それに、日本からの手紙を主として収録している講談社学術文庫『ザビエルの見た日本』があります。
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