鷺沼教会は、2002年を、クリスマスミサで祝福されたろうそくの光に照らされ、ロザリオを唱えながら締めくくり、新しい年2003年を「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて思い巡らしていた」(ルカ2・19)という言葉のもとに始めました。
これは、毎日の一つひとつの出来事(大きな出来事・小さな出来事、理解できること・できないこと、納得のいくこと・いかないこと)を感情と理性を超えて心にもっていき、そこで神様が与えようとする意味を見つけることを表しています。私たちは一年間この言葉の光に照らされて、マリアと共に歩み、クリスマスに向かっています。
この一年間、具体的な勧めを通して、ルカ福音書の言葉を活かすきっかけが与えられたと思います。
- 日曜ごとに共同祈願として繰り返すこと
- 長野県、富士見町のベネディクト会修道院での黙想会
- Communioを通しての霊的体験の分かち合い
- 生涯養成(講演会)
- 要理や聖書の勉強会・・・
皆様にとってこの一年間は霊的な意味でいかがでしたか。心の中で思い巡らすことによって、神様が与えようとした意味に気づき、喜びを味わったことがありますか。
今年の待降節の黙想会で霊的体験を分かち合うチャンスがありました。恵みの時だったと思います。
私もこの場を通して、二つの出来事を皆さんに分かち合いたいと思います。
1.ベネディクト修道院のこと
下見に行った時に二つのことが印象に残りました。両方とも室内の空間から受けたものです。一つは重み、もう一つはゆとり・余裕です。木材の家具、そしてゆったりしたスペース。このような空間の中では自然と、静けさ・深さ・穏やかさに導かれます。人生にはしっかりしたもの・土台・柱が必要であると共に、心の余裕があれば、自分の良さ、アイデンティティを失わないで、物事に対応できます。
2.満月
15年前、1987年12月19日(土)に司祭叙階され、翌日1000人ぐらいの信者に囲まれて初ミサを捧げました。その時の説教で満月の話をしました。中身は覚えていませんが、司祭としての出発点が満月に結ばれていることは確かで、忘れられない出来事です。15年たった今、大事なことに気づきました。先月、契約というテーマを考えていた時、聖書の世界では神様が人と契約を結ぶ時、しるしが伴うことに気づきました。ノアの場合は虹(創世記9・12−17)、アブラハムには割礼(創世記17・9−14)、モーセには律法を授けました(出エジプト記24・12)。叙階されるということは神様と契約を結ぶことであり、神様はその人を守る・導く約束をし、人間の側はその招きに答える決心をします。その時のシンボル的なしるしとして満月が与えられたと悟りました。月はどの地に行っても見えるものであり、私にとっては、月が単に夜の大空を星と共に照らす存在というだけではなく、神様の導き、常にイエス・キリストの司祭であるということを、私に呼びかける恵みとなったのです。感謝と喜びのうちに、この悟りを味わっています。
待降節に入って二回の黙想会の恵みが与えられ、来週は共同回心式が行われます。降誕祭はすぐ訪れます。私たちの心の大空に、救い主、新たなスタートに導く星が現れましたか。マリアに倣い、心の中ですべてを思い巡らすことによって、新しい自分に導く星を見つけることが出来るのではないかと思います。この恵みの時を、開かれた心で生きるようにしましょう。
|