鷺沼教会月刊誌
Communio
(コムニオ 一致)
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2004年9月号
「主よ、み旨のままに」
主任司祭 山野内 公司
アルゼンチンで、お父様のため捧げられた「感謝ミサ」
今回は地球の裏側からこの原稿をお届けしています。アンデスのふもと、San Juanは、ぶどう、オリーブ、メロン、たまねぎなどの産地です。乾燥した地域で、特に南の風が冬の寒さを感じさせます。(ここは南半球です。)日本の緑に慣れていた目にはこちらの緑が緑でないように見えます。
家族全員(9人兄弟)が8月15日に両親の結婚50周年をお祝いするため集まろうと計画していたものが、父の帰天(7月31日)で想像もできなかった集いになりました。約20年ぶりに兄弟全員が集まることができました。日本を出発する前に、母は葬儀ミサより「感謝ミサ」にしたいという希望を表しました。そしてその通りに実現することができました。大勢の兄弟姉妹がこの感謝ミサに参加して下さいました。鷺沼教会の皆様からのお祈り、支えのお言葉にも家族一同、心から感謝しました。ミサは兄の主司式で行われ、他の三人の兄弟が共同司式しました。日本の8月1日、父が亡くなったという知らせを受けた直後に捧げたミサは、私にとって司祭としての初ミサより感慨深いミサでしたが、15日のミサは感動的で一生涯忘れられないものになると思います。神秘的な交わりを体験しました。このミサ、それに続く家庭ミサでは何度も涙が溢れました。今、私は恵みで一杯の日々を過ごしています。自分自身が感じたこと、母や兄弟たちが話したこと、身近な方々がコメントしたことなどを少しずつ整理して日本語とスペイン語の文章で残す作業を始めたばかりです。このページを通して次の2つの体験を皆様と分かち合いたいと思います。
神の計画の実現:
40年前、父の心の中にある声が響き、霊的指導者の助けによって、それが神からの呼びかけであると父は判断しました。母はそれに賛同し、当時36歳であった父は妻と5人の子供たちを連れて仕事、家族、友人、慣れた土地を離れてアルゼンチンに渡りました。それはアブラハムが信仰の光に照らされて歩まれた道のようなものです。「あなたは生まれた故郷の家を離れて私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国にし、あなたを祝福し……」(創世記12:1−2)。たどり着いた地はイエス様の地、パレスチナに似ています。新しい場所、文化、言葉、環境の中で神の計画、夢を実現するように努めました。父の死という視点から、この40年間の歩みを家族として振り返り、大いに神の導きを確認し、数え切れないほどの祝福に感謝しています。神の御業は素晴らしい、人間の知恵をはるかに超えたものです。神はインマヌエルです、共にいる神です。
36年間父を生かし、地上に置いて下さった神様:
36年前の8月14日の夕方、父は車にひき逃げされ、ほとんど死んだような状態になりましたが、親切なトラックの運転手さんに助けられ、荷物のようにトラックに載せられ、病院で緊急治療を受けることができました。頭を32針も縫われ、数ヶ月間入院が続き、その後遺症が残りました。あの夜、村の警察から知らせがあり、小学5年生であった兄が父の看病のために病院に行き、残った私たちは母と一緒に一晩中ロザリオの祈りを唱えました。その時、母の心の中に「神は生かすことも、命を取り上げることもできる」という声が聞こえました。母は一心に「主人を生かして下さい」と願いました。16日に父の意識が戻り、「汝の信仰が汝を救った」という声が聞こえました。この出来事からちょうど36年、2004年8月15日家族全員が揃い、母が長年心の中に納めていたことを話してくれました。父はこの間沢山の病気にかかり、数回手術を受け、死にかかったこともあります。体の面ではボロボロになっていました。「もうこれでいいでしょう……」という声に支えられて、母は「良し」として父の地上の命を感謝と平和の内に受け止めることができました。
今は家族が新しい絆で結ばれ、この交わりを大切にしていきたいと思っています。
鷺沼教会の皆様には心から感謝申し上げます。出発する前の一週間は大切な期間でありました。皆様がどれほど私のことを思い、見守り、支えて下さっていることを深く感じることができました。今後もよろしくお願いします。また帰国した時、他の頂いた恵みを分かち合いたいと思っています。感謝のうちに。
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