「イエスの聖心」 | 助任司祭 土屋 茂明 ☆ ローマの聖心大聖堂 1978年8月の末、ローマに向かいました。当時の本田管区長から、少し勉強をしてくるようにと言われ、ローマのサレジオ大学霊性神学コースに籍を置くことになったのでした。 初めての外国旅行でしたが、1人で出掛けました。ローマ空港で出迎えてもらうことになっていたのですが、誰も来ません。幸い、知り合いのご夫婦がおりましたので、一緒にホテルを探すことになりました。どこも空いていません。やっと、お2人だけ泊まれるホテルがありましたので、私はサレジオ大学に直接向かったのです。夜も遅く、日本から突然やってきた怪しげな人物ということで入れてもらえませんでした。インターホン越しの覚束ないイタリア語で事情も説明できないのですから無理もありません。 市内を夜間も走っているバスで、ローマ・テルミニ駅に行き、そこで夜明けを待つことにしました。 夜が明けて、早速訪れ、ミサを捧げたのが、聖心大聖堂でした。 この聖心大聖堂こそ、晩年のドン・ボスコがレオ13世教皇様に依頼され、老躯に鞭打って奔走し、完成させた大聖堂です。 |
☆ イエスの聖心の信心 − その広がり 1673年12月27日、マリア訪問会の修道女マルガリタ・マリア・アラコックが、イエスのご出現を体験する。この後、数回のご出現を経て、イエスの聖心への信心がはっきりとした形をとるようになる。 1675年6月、聖体の祭日後の8日間中の第3のご出現のとき、イエスの胸には心臓が見えるようになり、その開いた傷からは愛を象徴する炎が出、イエスを傷つける人びとの罪を象徴する茨の冠が心臓に絡みついていた。 イエスの言葉「この心を見なさい。これは人間を非常に愛し、人びとにその愛を示すために涸れ果てるまで何一つ惜しまなかったものなのに、多くの人びとから、その報いに、特に聖体の秘跡において、忘恩、不敬、さらに冒涜、冷淡、無関心しか受けていない。最も辛いのは私に献身した人びともそうした態度をとっていることである。したがって、私の望みは、聖体の祭日の翌週の金曜日に、私が聖体において受けた全ての辱めを償うための祝日を設け、その日には償いの心をもって聖体を拝領することである。」 ほかの出現のとき、9ヶ月続けて月の最初の金曜日に償いの意図で聖体を拝領する者に特別の恵みを与えることを約束した。 イエスはさらに、イエズス会司祭コロンビエール神父の協力に頼るように命じた。
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| 1856年 | 教皇ピオ9世は全教会で祝うように定める。 |
| 1900年 | レオ13世、イエスの聖心に人類を捧げる。 |
| 1956年 | ピオ12世、回勅「ハウリエティス・アクアス(イエスの聖心に対する礼拝の動機と基礎について)」の中で、イエスの聖心の信心に、神の生母のけがれない聖心に対する信心も堅く結び付けるようにと述べる。 |
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☆ ドン・ボスコとイエスの聖心の信心 教皇様のお望みを何よりも大切にしていたドン・ボスコでしたから、全世界で聖心の祝日を祝うように定められたピオ9世のご意向を忠実に実行しました。さらに、レオ13世が念願とされていたローマ聖心大聖堂建立に向けて、多くの困難を克服して完成させたのです。 1887年5月14日、教皇代理バロッキ枢機卿によって荘厳に聖別式が行われ、トリノのオラトリオの聖歌隊もやって来ました。ドン・ボスコは式中、何度も老いの目を拭ったのでした。 翌年の1888年1月31日、主の御許に召されました。
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