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鷺沼教会月刊誌 Communio (コムニオ 一致)

2005年7月号
聖体と援助活動
聖体と援助活動
「聖体と援助活動」
主任司祭 小坂 正一郎
 
 今頃はたぶん無いと思いますが、以前「二重首振り扇風機」というものがあって、その宣伝がよく行なわれていました。扇風機は左右に首を振って広範囲の空気を動かしながらそこにいる人びとを快適にさせるのですが、もうひとつの運動を加え波型に動きながら、快適さを増していこうという扇風機です。私はそのころ落ち着きが無く、きょろきょろして他人の方ばかり気にしている子に対して、この言葉をかけながらよく注意したものでした。しかし、世の中にはこういう人は昔からいたようで、イエス様もこれを指摘しています。

 二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、私は他の人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています』(ルカ18・11)
 
 イエス様の言われる「この徴税人のような者でないことを感謝します」というところで、彼の眼や親指で後ろの方にいる徴税人に注意がいっている姿が眼に浮かんできて、すぐ気が散ってしまい、意外と黙想のしにくいところです。そして、「聖体と援助活動」というテーマを見たときに、すぐこの徴税人と二重首振り扇風機の2つが思い浮かんできました。

 「援助活動」という言葉を聞くとき、とかく私たちの目線が、周りの人との比較において捉え、何かを与えるというファリサイ人の意識に流れがちです。そうなれば惨めなもので、イエス様が指摘するように「正しくされて家に帰ったのは徴税人である」(ルカ18・14)という忠告が私たちにも当てはめられてしまいます。自分を中心にして物事を見つめ、判断し、行動していく傾向はよく私たちにもあることなのです。この点に注意してくれる言葉に接しました。「貧しさというのは相対的であって、絶対的には計れません。日本人が貧しいと思っているものが、他の国では貧しいとは限りません。日本人の眼から見て、かわいそうだから服を送ってあげようとか考えるけれど、もしかしたら必要ないかもしれません」(「菊池功司教のインタービュー」カトリック生活7月号10ページ)

 私は横浜教区に来て日が浅いので、近隣のことは十分分からないので、東京での経験で言わせてもらうと、東京カテドラル聖マリア大聖堂に行って祈ると、援助活動はこうなのだと実感すると思います。東京カテドラルは、その壁面とか補修のあととかについていろいろ指摘することもできましょうが、そこを見ずに、正面祭壇に向って祈ると、私たちの目線は少しずつ上の方に上っていきます。そしてそこには大きな十字架がついています。なお祈るうちに目線は一番上まで行ってしまいます。そしていつの間にか壁面の沿って、末広がりのように下降していきます。ついには自分と同じようにそこでひざまずいて祈る多くに人が見えてきます。また、人びとの中で、人びとと共に祈る私が見えてきます。それを眺めて、再び正面の祭壇に眼を向けて祈り続けると、先のように目線と心は再び上昇していきます。そしてそれが繰り返されるのです。
 私たちの祈り、私たちの援助活動はこうなければならないのだと実感します。「心をこめて神を仰ぎ」ながら祈っていくうちに、私たちの働くべき分野が見えてきます。私たちの周りにいる人びとを見せて下さるのです。そこにキリスト者としての援助活動の根源があると共に、援助活動は「感謝と賛美を捧げましょう」という応唱に他なりません。
 

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