| 幼子へのまなざし |
イエスと若者たち |
助任司祭 土屋 茂明 子供たちを祝福するイエス(マルコ10:13‐16) イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。
「子供たちを、私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのためである。はっきり言っておく、子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。 マタイ福音書(19:13‐15)、ルカ福音書(18:15‐17)も同様なことを記しているが、マルコ福音書がもっともよくイエスの思いと優しさを表現している。子供たちを追い払おうとする弟子たちを見て、憤られるイエス。子供たちを呼び寄せ、抱き上げ、手を置いて祝福されるイエス。
|
子供を受け入れる者はわたしを受け入れる(マタイ18:1‐5) 弟子たちがイエスのところに来て、 「いったい、誰が、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。 「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。私の名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、私を受け入れるのである」 ルカ福音書によると、弟子たちの間で、自分たちのうち、誰が一番偉いかという議論をしていたのである。 力も知恵もないが、謙虚にへりくだり、ひたすら神のみ旨を行い、神に寄り頼む人こそ、天の国で一番偉いのだと諭されたのでしょう。
イエスの幼子へのまなざしから学ぼう 幼子をこのうえなく愛されるイエス。権勢、栄華を求めることなく、ひたすら神に寄り頼む生き方を、幼子のうちに見ておられるイエス。ご自分も 「アッバ 父よ」と祈られ、弟子たちにもそのように祈ることを教えられたイエス。幼子のように、「パパ」と、愛情と信頼を込めて、私たちも神に祈りたい。 幼子を追い払うのではなく、もっともっと神さま、イエス様のもとに伴おう。ドン・ボスコの母マルゲリータが幼いヨハネに、アルプスの壮大な光景や、美しい星空を眺めさせては、神の偉大さ、いつくしみを語り聞かせたように。
☆ ☆
人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ ロバート・フルガムの本(河出書房新社)の表題ですが、次のように書き始めています。 「人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはいけないことを、私は全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである」 それから、幼稚園で教えられ、身につけていった、数々の項目を並べ、 「この中から、どれなりと項目を1つ取り出して、知識の進んだ大人向けの言葉に置き換えてみるといい。そして、それを家庭生活や、それぞれの仕事、国の行政、さらには世間一般に当てはめてれみれば、きっとそのまま通用する」と述べているのです。 幼児教育の大切さ、家庭での父母の役割、とりわけ母親の豊かな愛情が欠かせません。愛情、それもドン・ボスコが強調したように、子供自身が愛されていると感じるような、伝わる愛でなければならないのです。子供は「愛して欲しい」「受け入れて欲しい」と強く願っているのです。励ましの言葉、賞賛と受容の関わりかたが必要です。
☆ ☆
絵本の読み聞かせ 数年前、「アグネス・チャンのわが子と読む本」という記事が新聞に出ていました。3人の息子たちに必ず読んであげる絵本として「おおきな木」(シェル・シルヴァスタイン作・絵 篠崎書林)を紹介していましたが、子供たちに良い絵本を与えることはとても大切です。 河合隼雄さんの「お父さんにこそ絵本を」という記事の中で、お父さんに向けて、「私にだまされたと思って、好きな絵本を一冊、買って読んでみて下さい。子供の喜ぶ顔を見たら、もうやめられませんよ」と言っていました。 |
|
|