鷺沼教会月刊誌
Communio
(コムニオ 一致)
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2006年9月号
「年 輪」
主任司祭 田中 次生
私が星光学院にいた時、教職員の間で流行った言葉があります。それは「お前、その台詞を言うのにまだ10年早いぞ!!」です。ことの発端は、職員室で体育大会のことで議論になった時、現代っ子の若手が、体育科主任とは違う意見を言った時、主任が言った台詞です。その後職員会議等で「こういうことを言うのには、10年早いかも分かりませんけど……」と使われ、軽いジョークとして、部屋の雰囲気を和ませる効果もあり、その年は、あちこちで使われました。
さて「年輪」ということで私の頭に最初に浮かんできたのは、なぜかこの体験で、次に浮かんできたのは、NHKの「プロジェクトX」に出てきた、日本の職人さんの技術力でした。正確なデータではありませんがNASAの宇宙船で使われる精密機械の部品製作を担当した町工場のお話です。コンピューターで計算してミクロンの世界で鋼板をカッティングする時、コンピューターでも算出できない領域になります。そのとき最後の手段として頼りになるのは「職人の手の感触」だというのでした。職人さんが全神経を集中させて手のひらのカンで鋼板を削る姿には、正直言って感動しました。
本によると「温帯地方では春夏秋冬がはっきりしており、樹木は春から夏にかけて活発に成長し、冬は休止しているのが普通である。それが木の断面に一年ごとの成長記録として何重もの輪になってあらわれる」のが「年輪」ということです。その中で「成長の記録」というのが大切です。先の職人さんの場合には「手のひらのカン」という目に見えない成長の記録です。この成長の記録という視点から見ると私たち人間全員に見られる「成長の記録」は「顔」なのではないでしょうか? 一年一年の記録ではありませんが、それまでの全体としての成長の記録です。だから「顔」は多種多様な使われ方をしているのです。「顔を合わせる・顔見せ・顔出しする・顔つなぎ・顔ぶれ・顔を立てる・顔が潰れる・顔向けができない・顔に泥を塗る」また「面の皮が厚い・鉄面皮・厚顔無知」があります。旺文社の「成語林」で調べたら「顔」で27の慣用句、「面」で10が記録されていました。「顔」は言わば私たち人間の「年輪」なのです。
よく言われることだが、私たち人間には二つの顔があるといわれます。誕生の時に親から与えられる「第一の顔」と、それ以後に自分で作り上げた「第二の顔」です。当然のこと私たちが責任を取るべきなのは「第二の顔」です。顔はある意味で私たちの心の有り様が、作るものだといえるでしょう。先日新聞にある定年退職する捜査官の記事が載っていました。彼は長くスリ専門でしたが、電車のなかで「スリ眼を見つける」ことから仕事が始まると言っていました。スリを長くしていると「スリ眼」になるのでしょうか?
私たちが心に何を信じ、何を望み、何を愛するかでまた、誰を信じ、誰に望みをかけ、誰を愛するかで私たちの顔が変ってきます。顔は心で作られるからです。悪事を続ければ「悪い顔」になります。良いことを続ければ「良い顔」になります。だから森鴎外は「生まれたままの顔で死んだら恥である」と言い残したのです。
岩波書店の岩波茂雄はある対談の中でこう言っています。「自分はそれほどと思わないが、人からはずいぶん怖いと言われる。今でも家の子供からブルドックなどとからかわれることを見ると、顔の怖いということは否定できないようだ。だが、顔に似合わず、なかなかに優しい心を持ち合わせている。……今では怖い顔と優しい心と、あべこべでなかったことを、造物主に感謝できるようになった」と。
彼は、高校か大学を留年し続けて、学校をダブルで卒業したといっています。しかし出版社を始めた時、「俺には、他のヤツとは違って同級生が二倍いるので原稿を依頼するのは有利なのだ」と言っていたそうですが、同級生だからではなく、彼の優しい心が多くの友達を持ち、その交友の中から岩波書店らしい本を作り出せたのではないでしょうか?
木に「年輪」があるように、人間にも「顔」という年輪があります。「より美しく」は女性だけでなく、私たち人間一人一人に課せられた人生の宿題とも言えるでしょう。
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