| 団欒 |
主任司祭 田中 次生
ひと月前、編集会議で「団欒」のテーマが決まった時、私はすぐ頭の中で「団欒」という漢字を考えました。日本語は便利なもので、漢字の中にその意味か示唆される場合が多いからです。例えば「協力」という字は、相当しつっこい人が考えたようで、「力」を3回足して「協」を造り、その上また「力」を加えています。でも意味としてはすぐ理解できます。しかし「団らん」という字はついに思い出せませんでした。会議が終わって他のメンバーにも漢字を聞いてみました。嬉しいことに誰一人書けないとの事で、ひと安心(?)でした。
「団欒」からは「一家団欒」という四字熟語しか、辞書には載っていません。だから「団欒」という言葉を聞いてすぐイメージしたのは、「囲炉裏端」ということでした。そして「かあさんのうた」です。「かあさんは麻糸つむぐ 一日つむぐ おとうは土間でワラ打ち仕事 お前も頑張れよ……」の歌詞を通して、それぞれが別々の場所で別々のことをしながら、心の中では家族一人一人のことを認め思いやっている気持ちを、真冬の囲炉裏のように暖かく包んでいることを感じさせるからです。 家庭は家族(夫婦・親子・兄弟・近親者)が共同生活を営んでいる場所です。 家庭の大切な特徴として、次のものを挙げることができるでしょう。 一人一人が大切にされ、憩いの場として「ホッと」できるのが家庭です。単身赴任のお父さんが、一番離れている家族を思い出すのは、夜遅く電気の点いていない真っ暗なアパートに帰ってくる時だと多くの人が言います。自分を待っていてくれる人がいないというのは淋しいことです。家庭は、自分を待っている人がいる場所です。そしてそこは会社や子供の通う学校とは違って「生身の自分」が出せる場所です。余所行きの正装から解放されて、普段着でいられる場所です。普段着なので、時には各自が主張し過ぎて疲れることもありますが、ケンカできるのも家庭のありがたいところです。タクシーの運転手さんの話があります。家に帰っても「ストレス」が溜まると、会社の帰りにビジネスホテルに泊まるお客さんが、キチンとした統計ではないけど、結構多くいるとのことです。
創世の時、家族・家庭は神のイニシアティブで造られました。「主なる神は言われた。『人が一人でいるのは良くない。彼に合う助けるものを造ろう』と。「光りあれ!!」の言葉で始められた世界万物の創造は、神が6回も「良し」とされ、また人間の創造の時は祝福の言葉を神ご自身が述べられました。そして最後には「神はそのお造りになった全てのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」で締めくくられています。その延長に「家族の創造」があり、神の愛による選択だと考えることができるでしょう。そうでなければこの世での33年間の生活のほとんど、30年間もの家庭生活を送られなかったはずです。30対3の比率は、私たちがもっと家庭生活を大切にするようにとのイエス様の模範であり、薦めなのではないでしょうか。
オウムの地下鉄サリン事件のあと、「宗教のクライシス」の著者上田紀行氏は指摘しました。「宗教は世界の根底に "YES" =肯定を置く。そして "あなたは愛されていますよ" というメッセージを人間の一人一人に伝える」と。だからそのメッセージのない思想は宗教ではないと主張したのです。 こう考えると家庭の・家族の大切な働き・役割の一つは "あなたは愛されていますよ" というメッセージを構成員の一人一人が、肌で感じることだと言えます。ひょっとして人間としてのイエス様も多くの敵対者の中で十字架の丘を登るために、聖家族の中で30年間「あなたは愛されていますよ」との聖家族のメッセージを体験したかったのかも分かりません。私たち人間には、社会に出て自信をもって社会人としての人間関係のを作っていくためにも、家庭内で愛されている・愛している体験は、不可欠の条件だからです。 南アフリカの大主教デスモンド・ツツは言います。「家族は選ぶことはできません。家族とは神からあなたへの贈りものであり、あなたもまた神の贈りものなのです。(You don't choose your family.They are God's gift to you, as you are to them.)」
もう一度マザー・テレサの言葉「家族が共に祈るならば、その家族の一致は保たれます。その家族は互いに愛し合うでしょう」。祈ることから「家族の団欒」をより楽しいものにしませんか。
|
|
|