| 幼い子供たちと |
主任司祭 田中 次生
私は1970年から高校の教壇に立ってきました。したがって高校のことなら裏も表も知っているつもりです。現在は幼稚園にも関係していますがこちらの方は結構戸惑うことばかりです。キャリア不足なのでしょう。 12月のイエス様の誕生「お祝い会」ではこんなことがありました。サレジオ学院の幼稚園では、クリスマス・ストーリーを先生方の絵による劇を子供たちのコーラスで説明するという形式をとっています。同じものを午前午後の2度するのですが、年少・年中・年長と子供たちはそれぞれ2組に分かれて、年齢ごとに歌うのです。1ヶ月に亘って練習しているので、十分に聞きごたえのある会でした。ただ私にとって予想外だつたのは、年少の組が歌う時でした。ホールにぎっしりと集まっている親たちに、振り向いてお辞儀をし、いよいよ歌い始める緊張の一瞬が「パパ!!」とか「ママ!!」の数人の子供の声で破られたことでした。子供たちは、今から歌うというのに、自分のお父さん・お母さんが自分を見ていないので、チャンと見て欲しいとご両親に声をかけたのでした。私の短い(?)人生経験の中では初めての出来事でした。
数年前、クリスマスイブに幼稚園のご父兄同伴の子供たちのミサを頼まれました。久しぶりの幼稚園の子供相手だから、どのように話せば子供たちが話を聞いてくれるのかと1ヶ月間真剣に話の準備をしました。難しい話をして、聞いてもらえなかったら嫌だし、おしゃべりしたり、あくびしたり、眠ったりしたら、せっかく「田中神父様だったら」と期待して呼んで下さったシスタ−の園長先生に申しわけないと思ったからです。正直なところ高校生相手の話の時に比べて、4倍は時間をかけて準備したと思います。 当日になって、会場の教会ホールに緊張しながら入ったのですが、子供とご両親が一緒に並んで座っていたので、少しホットしました。何故なら話が多少難しくなっても、ご両親の監督付きだから大丈夫だろうと勝手に考えたからです。それが命取りになるなんて露ほども考えませんでした。 ミサは聖歌もよく準備できているし、なにしろイエス様のお誕生日の今夜は特別に子供たちは一生懸命イエス様にお祈りしようとしているのですから、万事好調な滑り出しでした。そう、正直に言って私のお説教のところまでは、100点満点だったのです。 いよいよ、私のお説教の番になりました。私は学生たちに話す時も壇上からではなく、場所的に許される範囲で聞き手の近くに寄っていつも話しています。それで子供たちの出来るだけ近くに寄りながら「キチンと準備したのだから大丈夫」と自分に言い聞かせ、肩の力を抜いて話し始めました。「皆さんは良い子だから、クリスマスの今日は誰のお誕生日かは知ってますよネ!」と話し始めました。そうしたら大きな声で「イエス様のお誕生日!!」と返事が返って来たので、これで絶対にこちらのペースで話が進むと考えた田中神父は「あまりにも世間知らず」と責められるべきなのでしょうか? 私は一呼吸しておもむろに話し始めました。「皆さんがちゃんと答えてくれたように、今日はイエス様のお誕生日をお祝いするためにここに私たちは集まりました。皆さんは良い子だから、イエス様のお友達でしょうが、もっと仲の良いお友達になれるように、『お友達の条件』について、お話ししましょう」と切り出しました。そうしたら一番前に座っていた子供が、大きな声で言ったのです。「ママ! 条件ってなぁ〜に?」と。不覚にも私はそれを受けてしまったのです。せっかく子供たちと良い雰囲気になっていたので壊したくなかったからです。「条件? 条件とはねぇ……」しかしながら私の全知全能をかたむけても、それから先が出て来ませんでした。「条件」より易しい言葉を知らなかったからです。さっきまでの自信はどこへやら、しどろもどろになり真冬なのに汗をかいてしまいました。 子供に接すると思わぬところでハッとすることがあります。私たちは既成概念に縛られてしまい勝ちですが……時には私たちも子供の視線で物事を見ることも大切です。たとえば、"御ミサ" "御聖体" "十字架"など沢山あります。 もう一度星の王子様の言葉。「一番大切なものは目に見えないのだ……」
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