| 「君は君を超える」 |
主任司祭 田中 次生 私は、学校で長く働いてきました。2つの学校で通算12年間校長として責任をとってきました。仕事ですから、辛いことも沢山ありましたがそれでも「卒業式」の感動を味わう喜びは、教師冥利に尽きるものがあります。壇上から卒業生の緊張した顔を見ながら、社会に向かって羽ばたこうとしている彼らの眼の新鮮な輝きをいつも「美しい」と思いました。サレジオ高専では、式次第の中に伝統的に「仰げば尊とし」の歌が入っていました。学生たちが本当に気持ち良く、心を込めて歌ってくれるので(もっとも、教職員の声の方が大きかったような気もしますが……)いつも胸に熱いものを感じました。 昨年の3月、私にとっては最後の「校長 田中次生」の名前で書かれた卒業証書を卒業生一人一人手渡しする時、「君は君を超えて」欲しいと祈りながら握手したことを懐かしく思い出します。
この「君は君を超える」は私の好きな言葉です。しかし私の創作したものではありません。2年前の夏、全国高専体育大会の「第40回記念大会」が行われた時の、大会のスローガンでした。全国63高専の学生の誰の言葉が採用されたのかは知りませんが、若い学生の言葉です。私はすぐこの言葉が好きになりました。そしてサレジオ高専が「バレーボール関信越地区大会」と「ハンドボール全国大会」の開催校だったので、開閉会式の4回の主幹校校長の挨拶は、全部このスローガンを使って話したので、私にとっても楽に挨拶ができ、本当に有難いスローガンでもありました。 スポーツの場合、チームのため、監督のため、学校の名誉のためということも大切でしょうが、「自分自身を超える」ことはスポーツの原点を再認識させてくれます。全国大会である以上、優勝・準優勝・第三位という目に見える結果が出ます。当然優勝すれば注目されます。しかし、大切なのは、参加者の一人ひとりが、あるいは各チームが「自分たち」を超えることです。自分たちの能力・可能性にチャレンジすることがスポーツの原点だからです。したがって、全員がそれぞれ自分のベストを目指して勝負する試合は真剣勝負で白熱化し、勝っても負けても「好試合」を戦った喜びがあり、見ている観衆にもその喜びと感動は伝播していきます。各試合がそんな試合であれば、当然大会は盛り上がり、参加した一人一人にとっても、チームにとっても忘れることのできない青春の1ページを飾るに相応しい大会になるに違いないからです。
先日の「東京マラソン」は3万800余人が走りました。でも優勝者はたったの1人です。私たちの教会からもHさんが参加しました。残念ながら(?)大会の優勝者にはなれませんでしたが、それでも、5時間余で完走されました。詳しくお聞きしたわけではありませんが、冷たい雨の中での完走は「君は君を超える」ことを抜きにはできなかったのではないでしょうか? 今回は96%の完走率とのことですが、多くの参加者にとっても「君は君を超える」大会だったのではないかと勝手に考えました。ゴールに入ってくる人たちの笑顔が、そのことを証明していました。 「君は君を超える」は高専の体育大会という狭い範囲の標語だけでなく、私たちの生活全般の標語とすべきでしょう。そして特に「新しい旅立ち」をする人たちにとって、いろんな不安もあるでしょうが「どうせ私は……」とか言って最初から逃げの体勢に入ってしまうのではなく、正々堂々と、新しい社会・立場などにチャレンジして欲しいと願っています。 |
仏教詩人・坂村真民さんの詩「念ずれば花ひらく」です。
念ずれば花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった そしてそのたび 私の花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった
たった一度の人生です。「君は君を超える」で花ひらきたいですね!!
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