| 新しい気持ちで |
主任司祭 田中 次生
1970年神学校を卒業して、私の最初の任地は宮崎の「日向学院」でした。短大で、哲学・宗教学を担当し高校で1年生の「倫理」を担当しました。また高校のカト研(カトリック研究会)の顧問と宮崎教会の高校生会の指導も担当しました。 5月の連休に定例の「カト研キャンプ」がありました。日南海岸にある「日向学院・海の家」が完成してからは、毎年サイクリングしながら1泊するのが一つの伝統になりました。 とにかく、食事は自炊し、海岸で遊び、ミサ、キャンドル・サービス、ディスカッションをするという忙しいスケジュールでした。
ある年のこと、お祈りが終わって、夜も更けていよいよ寝る時間になったのに、開放感がそうさせるのか、なかなか寝ようとせず、注意すると「先生!! 赤ん坊じゃあるまいし、こんな時間に "寝ろ!!" と言われても、眠れませんよ!!」と文句を言い始めました。私とは年が近いということもあり、子犬がじゃれあっているような感じで、議論を楽しむのでした。そのうち私の頭の中で一つの考えがひらめきました。「そんなに眠くないのなら、真夜中の海岸で座禅を組ましたらどうか?」との考えです。高3なら自分の進路を、高2ならクラブのことなどを、高1ならこれからの高校生活で目指すもの等、考える材料は沢山あるのではないかと思ったのです。 私の提案は、全会一致で承認されました。皆ですぐ側の海の砂浜に出ました。こうなるといつもの悪い癖で、私の方が乗り気になって、高校生たちを縦、横とも10m間隔の2列で波打ち際に並ばせ、座禅を組ませました。目をつぶって波の音を聞くだけでもよいし、波の音を聞きながら星を見つめてもよいし、もちろん両方を交互にしてもよい。ただし「絶対沈黙」の条件をつけました。真っ暗な真夜中の海岸で、自分の周囲10mには誰も人がいないというのもすごく "孤独" を感じさせるために良い状況設定でした。 30分と少し長めにさせたのですが、海の家に帰りながら口ぐちに高校生たちは感想を述べました。「自然の偉大さの中で "自分の小ささ" を感じ、心から神様に祈りました。こんなに真面目に祈ったことは無かったのでは!」とか「過去・現在・未来のことを考えた。与えられた時間を大切にしようと思った」また「"自分は自分なんだ" と感じ "自己責任" を意識した」など……本当に人生について真正面から考えることができました。 このことがあって、この「波打ち際の座禅」はその後のカト研キャンプの欠かせない行事になりました。そして何度経験してもいつも大自然にじかに触れた感動みたいなものを体験することができました。
私たちは、文明の利器にうずもれた毎日を送っています。それで心身ともに幾重にも幾重にも、文明の利器に埋もれてしまいいろんなことに鈍感になっていきます。心身ともに "垢" を取り払い初心に帰る必要を強く感じます。時には大自然の懐に飛び込むのもよいことです。どんな素晴らしいことも、習慣に流されてしまえば、何の感動も起こさせません。新司祭が捧げる最初のミサ「初ミサ」はどれだけ、新司祭にも参加する人たちにも大きな感動をもたらすのでしょうか。初聖体の感動もそうです。そして社会生活でいえば、恋人との最初のデートや自分たちの始めての赤児を抱くお父さんとお母さんの感動! でもそれらは慣れてしまえば、何と言うこともないものになってしまいます。
そういう意味で「お正月・元旦」は私たちの気持ちを原点に立ち返らすためにはとても意味があると思えます。初心に帰り "垢" を落とし、新鮮な新しい心で2008年を進んで行きたいと思います。 |
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