| 祭り |
主任司祭 田中 次生
私は大阪に13年住んでいました。星光学院の反対側の通りに聖徳太子が建立した「四天王寺」があり、その施薬院が学校の横の通りにありました。太子がそこで「勝鬘経」を講じたので「勝鬘院」と呼ばれ、時代の流れの中で「愛染堂」といわれて庶民から親しまれたお寺があります。豊臣秀吉が再建したという多宝塔もあります。でも大阪の人びとから慕われるのは、大阪の夏祭りの口火を切って開催される「愛染祭り」には、ほとんどの市民が子供の時に参加している思い出の地でもあるからです。6月30日ぐらいに開催されますが、自慢ではないが私はほぼ皆勤賞をとっています。生徒はかわいそうに定期テストの直前で見に行くゆとりはありませんが、教職員はいつも一団となって夏祭りを楽しみに行きました。愛染祭りが大阪の夏祭りの最初に来ますので、愛染祭りで夏の到来を感じたものです。冬は冬で、学校のすぐ近くに「今宮戎神社」があり、そのお祭りが「えべっさん」といわれて、年明けの人気のお祭りでした。これも皆勤賞ものだったと思います。奈良・京都・大阪の伝統的なお祭りは、関西の人たちの中に、生活の中に溶け込み、自分自身の成長の記録の中の懐かしい思い出となって生きているのを強く感じました。
この「お祭り」ですが、加藤常賢さんの「漢字の起源」をひも解き調べました。日本語は便利なもので、漢字の中にその意味が含まれていることが多いからです。今回の「祭」も専門的で分からないところを飛ばしながら読むと、次のような意味が漢字の祭りを作っています。「机の上に酒肉を置いて神に献ずること」が祭りの意味をつくり、そこから「神を呼び降しての諸行事全般」を「祭り」「祭祀」と言うことになったのです。
天皇陛下の重要なお仕事の一つに「新嘗祭・にいなめさい」があります。近年は、収穫の秋11月23日(勤労感謝の日)に行われますが、その年に収穫された穀物類を感謝を込めて天神地祗にすすめ、親しく会食するものです。「祝箸」がありますが、広辞苑では「祝儀の膳に用いる丸箸。柳の木で作り両端を細く削る」との説明がされています。天皇陛下がお箸を持って食べられるとき、同じ箸の上の部分で天神地祗が食べられるのです。「祭り」の中には、人間と「神・天」との出会い、有限な人間と無限な「神・天」との出会いがあります。 またお正月などで「祝い箸」でお雑煮などを食べるときは、ご先祖様が一緒に食べて下さるのです。その中にも、人間の永遠性や神秘性への本能的ともいえる憧れを感じます。昔から「同じ釜の飯を食べる」とか「鍋を囲む」とかいわれ、親しい仲間であることを表現しています。
さて、私たちも、秘蹟やミサを捧げるとき、「祭儀」を行っているのです。ミサの最後には「感謝の祭儀(ミサ聖祭)を終わります。行きましょう 主の平和のうちに」で締めくくります。ミサはイエス様の完全な自己奉献によって、実現した私たちの救いの出来事を記念し、感謝する祭儀だからです。 カトリック大辞典は典礼を次のように定義します。「神が、人間を聖化するプロセスと、それに対して、恩恵を受け入れたキリスト者共同体の応答がなされるプロセスとが1つになって実現するのが典礼であり、救いの秘義をこの世界に表す教会の秘蹟的なあり方が典礼の本質をなしている」と。 イエス様はこう言われました。「あなたたちによく言っておく。二、三人が私の名によって集まっているところには、その中に私がいる」(マタイ18:20)私たちが秘蹟を行い、ミサを捧げ、祈り、典礼行事に参加するとき、それは祭儀であり、神と親しく一致している時なのです。イエス様の教えて下さった神は「インマヌエル・共におられる神」なのです。誰しも嫌いな人とは、一緒にいたいとは思いません。 |
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