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鷺沼教会月刊誌 Communio (コムニオ 一致)

2018年5月号
いかす ― 響き合うナイスガイたちによる異化す生き方
協力司祭 阿部 仲麻呂
 

たんぽぽ

1.響き合うナイスガイたち(相手を活かす、いかす生き方)
 3月中旬に映画『坂道のアポロン』を観た(普段、筆者は教区神学生のための講義を担当しており、青少年との関わりがないが、教育修道会に所属しているため青少年の心理を学ぶ工夫だけは続けているので青春映画も観る)。長崎県佐世保市などで撮影された作品である。
 60年代の3人の高校生の物語。性格も生い立ちも異なる3人が、お互いに認め合って活かし合う様子が、妙に懐かしかった(地元の不良男子学生、その学生の幼馴染の女子学生、東京から引っ越してきた生真面目で内気な男子学生)。仲の良い3人が、ふとしたことで口をきかなくなり、様々なぶつかり合いや葛藤を乗り越えて前進する、青春のひと時が爽やかに描かれていた。不良少年が真剣にミサに与る場面など、随所にキリスト教と関連する場面も登場するので、信仰の深まりを生きる青少年を描いた映画としても観ることができる。

 不良学生は幼い頃から学友たちから虐げられて苦境のなかで育つが、米兵から習ったドラム演奏に活路を見出す。優等生はピアノを究めたいと密かに願いつつも、養子縁組先の義母から医学部へ進学して家の跡取りのレールの上を進むように厳命されてふさぎこむ。これら2人の人物が名コンビとなりジャズのセッションを繰り広げる。高校の文化祭の催しの際に停電が起こり、真っ暗な体育館のなかで2人がドラムとピアノの前に着座してジャズを奏で始めると誰もが愉しそうに耳を傾け、幸せなひとときを共有するという出来事も映画のなかで描かれる。性格が真逆でありながらも2人の響き合いは見事である。女子学生が好んでいる「My Favorite Things」という曲を2人が心をこめて演奏するのを聴いていて、筆者は思わず「ナイスガイ!」と叫びたくなった。その後も繊細で相手思いの「Someday my Prince will come」の調べが流れる。
 2人とも女子学生を大切に守ろうとするが、不良学生は相手の幸せを考えて突然失踪するが、十数年経って司祭として多くの人から慕われる。一方、優等生は医者として活躍していた。そして、高校時代に、優等生から教師に向いていると誉められた女子学生は地元の出身校の教員となっていた。2人は苦心して、失踪した友人を探し当て、教会の祭壇の前で曲を演奏しつつ再会を懐かしむ。それまでは決して人前で目立とうとはしなかった控えめな元女子学生も自分の殻を破って初めての歌唱に挑戦する。まさに響き合うナイスガイたち。

 最終的には大団円を迎えたので、安心して観れた。近年は不幸なままで物語が終幕したり、観客をけむに巻くような不可解な終わりかたをする凝った作品が増えるなかで、妙に新鮮だった。ほっこりとした安心感のある作品だった。

2.活かすも殺すも……
 ところで、筆者が好んでいる仏教の語録に「逢仏殺仏、逢祖殺祖(仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ)」(『臨済録』示衆)というのがある。決して囚われない生き方を示す呼びかけである。仏や開祖を殺せ、というのは、尊敬すべき相手と関わるときでさえも、決して相手に引きずられて自分の主体性を失うな、という激烈な呼びかけを示す。
 殺せ、というのは激しい言葉である。しかし、実際は「決して囚われるな」という慈悲に満ちた強烈な警告となっている。尊敬すべき相手の言いなりになって、自分で考えて行動する信念をねじ曲げてしまっては、私たちは奴隷になり下がるからである。禅語を理解するには、激しい言葉の奥底に隠されている師の恩情をしっかりと眺める眼力を備えなければならない。
 禅僧の共同生活において、師は弟子を冷たく突き放す。そして、無茶な難題を吹っかける。師から受けた問いかけを、四六時中、心の中で反すうすることで、弟子は物事の真実を発見する。そういう難題のひとつとして「逢仏殺仏、逢祖殺祖」という呼びかけが挙げられる。

 弟子を活かすには、弟子の生殺与奪の主導権を握る師が徹底的な責任を負わねばなるまい。まさに弟子という相手を活かすも殺すも、師の配慮のいかんにかかっている。禅師と弟子との響き合いは、イエスと弟子との響き合いとも重なり合う。福音書を読むと、イエスが弟子に対して結構きつい言葉を投げかける場面に満ちているが、意外と禅語の響きと似ている。聖書の言葉は文字通り読んでも理解不能である。必死な実直さに駆り立てられて読むのが肝要だろう。

3.いかした生き方
「いかすね!」という、誉め言葉がある。「ナイスガイ!」という英語で言い直したほうが分かりやすいかもしれない。つまり、ツボにはまった生き方が出来ている、ということだろう。ここぞ、というタイミングにはまっているときに、人は悦びを感じて拍手喝采したくなるものである。私たちは、果たして、いかした生き方を心がけているだろうか。ジャズのセッションのように。

4.異化す(新鮮な眼差しで眺める)
 「活かす」生き方、あるいは「いかす!」生き方、そうしたことどもから筆者は、どうしても「異化す」という言葉を連想してしまう(実際は「異化する」という用法はあるが、「異化す」は「いかす!」に触発された造語である)。ロシア・フォルマリズムという20世紀の思想運動がある。その運動の核心が「異化」である。物事を普段とは異なる受け取り方をとおして新鮮に把握しなおすことである。普段は気にもとめなかった、道ばたのタンポポに、ふと目が留まる。その際に、タンポポのけなげな可憐さに心ゆさぶられて、じっと見入ってしまうことがある。いつもは気づかないことに、急に魅了されて、新たな発見をするときに、人の心は小躍りする。観る人の心の持ちかた次第で、物事の輝きが変化する。たとえば、一般人が十字架を眺めても何も感じないが、同じ十字架をキリスト者が眺めれば「尊い愛情に満ちた奉献の姿」として敬虔な面持ちで理解できることが挙げられる。

 毎日の何気ないことを、大切に慈しむような丁寧な生活。絶えず、ささやかなことに喜びを感じることができるかどうか。筆者は、いつも自問自答している。同じものを観ていても、心の穏やかな人の眺めかたは、ひとあじ違う。異化の極意を身につけているからだろう。


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