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鷺沼教会月刊誌 Communio (コムニオ 一致)

2019年5月号
頭を上げよ
協力司祭 ウンベルト・カバリエレ
 

吉田兼好(花園大学蔵『徒然草 奈良絵本 江戸中期写 上』より) 人間として、こうなりたいああなりたいと願うことは誰にでもある。吉田兼好の『徒然草』における「なまめかし*」は、人生の美学でもある。
(* ここでいう「なまめかし」とは艶っぽい意味ではなく、内面からにじみ出るような品のある美である。)

 兼好は、自分の美学を持って自己教育した人であったようだ。彼は愚かな人について「名誉に使われて落ち着きがなく、無遠慮で口が軽く、自分を偉く見せ、自己顕示欲が強く、静かに過ごすことができず、一生を苦しんでいる人である」と言っている。また、よき人とは「教養を身につけたいという向上心を持っている人で、その身につけた教養が、なまめかしく外に現れている人である」という。
 花を美しいと感じるのは、やがて散って行くからこそでしょう。つまり、ものごとを常に全体として眺めることができる人間を「教養ある人」だと兼好はいうのですね。

 吉田兼好が生まれたのは、鎌倉時代末期。南北朝の対立の中、天皇中心の政治「建武の親政」が開始された。足利尊氏が室町幕府を開いても戦乱は続き、南北朝の合一を見たのは三代将軍・足利義満の時代である。このような激動の時代に兼好は超然と生きたんだね。
 安楽ばかりだと人間の成長はない。努力が鈍り磨かれることがないから。ルカ福音書には「頭を上げよ、あなたの救いが近づいている」(21・28)とある。これは悲惨な時にこそ、怯えてうなだれずに頭を上げて前に進もうということでしょう。兼好の生き方がまさにそうだった。

 兼好は、香りについても次のように述べている。「まやかしでしかない。衣にたきしめた香がしばし漂っているだけだとわかっていても心は迷うのだ。」香りの歴史はとても古い。紀元前三千年前のメソポタミア文明にまでさかのぼる。そして仏教においても香は重要なものだった。それについても少し考えてみたい。線香は、故人の食物として上げていた。仏教の教理を著した「倶舎論」には、「死後の人間が食べるのは匂いだけで、善行を行った死者はよい香りを食べる」とある。また、一本だけ線香を立てる理由は、ひとすじの線香の煙が故人をあの世まで導いてくれるという考えからである。線香の煙を通じて仏さまとお話をするという意味があり、故人に思いを伝えることができるとされている。香があの世とこの世の橋渡しをしてくれるんだね。さらに、線香の香りは匂い消しとなり、心身を清めることができるとされている。人間とは汚れるものだから、自分の身と心を清めてから仏さまと向かい合う。そのために香は必要である。

 なるほどと思うことがたくさんある。私たちもキリスト教徒としての道しるべを頼りに、人間としても成長したいものだと思う。成果を上げるには、気性や知識、関心において千差万別である。しかし、吉田兼好が著したように「なまめかし」、つまり視覚的に華やかなものではなく、「人知れずにじみ出てくる品のあるもの」であってほしい。その気になれば成功します。


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