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鷺沼教会月刊誌 Communio (コムニオ 一致)

2020年12月号
「わたしは何を手渡すのか」
主任司祭 長澤 幸男
 

名誉教皇ベネディクト16世 少し前だったか、前首相が盛んにレガシーと言っていた。この場合は、先人たちの遺産という意味か、はたまた自分の後世に残す業績のことだろうか。そんな格好いいことは抜きにして、ふとため息が出ることしばしば。生涯の夕暮れ時となると、「信仰の世界で自分は次の世代に何を渡すのか」。じっと手をみて恐ろしいことに何も持っていないことに気づく。第2バチカン公会議以前の教会凱旋主義から急激な変革を通して教会は、元来の背丈に収まって来たこの頃であると考えている時、ふと、バチカン発の記事が目に止まった。
 前教皇ベネディクト16世曰く。「コンスタンチヌス皇帝によるキリスト教禁教令の廃止に続くキリスト教のローマの国教化、晴れて教会が地下から地上に出てきて、思い切り背を伸ばすことができたのは一般に喜ばしいこととなっている。がしかし、その後の種々の問題と成り行きから見て、単純に手放しで喜べない。対して、あの厳しい迫害下の教会、さらに時代を遡って紀元100年に近い本当に貧しい人びとと小さな群れに過ぎなかった教会こそ、私にとって理想に近い教会ではないかと思う」。だいたいこんな趣旨の記事であった。
 ベネディクト16世は、切々と述べている。
 今日でもローマ典礼ミサで、主の復活の入祭唱のあの一節に、「主は、よみがえって、私たちの間に住む」とある。ありふれた賛歌であるが、この裏に、とてつもない世界が見え隠れしているのである。

 この賛歌は、詩篇139番からの引用である。長いから、端折って記すが、

「主よ、あなたは私を究め、私を知っておられる。座るのも立つのも知り遠くから私の計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け私の道にことごとく通じておられる。(中略)前からも後ろからも私を囲み御手を私の上に置いていてくださる。 (中略)どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも見よ、あなたはそこにいます」。

 この詩篇を復活の賛歌に導入したのは一体誰だろうか、未だ、聖書がラテン語に訳される遥か以前の話である。ちなみに、聖ヒエロニムスがヘブライ語の旧約聖書をラテン語に訳したのは、その後300年以降である。

 いわゆる読み人知らず。おそらく、ローマの教会で旧約聖書に通暁していたユダヤ人クリスチャンが詩篇から引用したのかもしれない。ここから、いろいろと明るい憶測ができる。
 当時、すでにユダヤ人がローマに来ていたこと、さらに裏切り者と罵られひっそりと生きていかざるを得なかったごく小さなユダヤ系クリスチャンのいる小さな教会の復活典礼、そしてそれを受け入れたローマの教会が目に浮かぶ。

 いずれにしろ、主の復活の出来事を体験したか、あるいは聞いたのか、ともかく自分たちの信仰の端緒となった出来事をこのように詩篇を用いて力強く表現した当時の教会に心は飛んでいく。
 中世期から第1バチカン会議までの教会ももちろん意味のある大きな業績を疑わない。しかし、前教皇が言われた、裃を付けずに単純で素朴な初代教会、こんな教会を次の世代の信徒に手渡せたら本望である。
 終わりに一言。前教皇ベネディクト16世は、学者肌で、それにドイツ人気質で固い印象がある。しかし、一方ではドイツのロマン派の魅力的な漂いがあると見るのはうがち過ぎだろうか。



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