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2018年 3月14日

花 2018年 四旬節黙想会のご報告 花

バレンタイン・デ・スーザ神父様2018年3月11日、バレンタイン・デ・スーザ神父様(イエズス会/聖母病院チャプレン)をお招きして、四旬節黙想会が行われました。10時のミサ説教および、ミサ後の講話を通して、ご指導いただきました。ありがとうございました。
長年チャプレンを勤められた聖母病院を離れ、今後はヨーロッパで司牧活動に当たられるという神父様の上にこれからも神様の豊かなお恵みがありますよう、お祈りしています。

≪ ミサ説教 ≫(約14分)

【朗読箇所】
 第1朗読:歴代誌下36・14-16, 19-23
 第2朗読:エフェソ2・4-10
 福音朗読:ヨハネ3・14-21
≪ 講話 ≫(約40分)

≪ ミサ説教の概要 ≫
 今日ものすごく大切にしたいところは、私がこれまで何十年間と言ってきたこと、自分の生活のまとめが、この2つの言葉でできていると思っています。英語で言えば Life is gift, time is gift. 命が贈り物、時間が贈り物。これを皆さんが家に持っていけたら十分だと思います。だから私のお葬式の時はこの言葉使ったら十分。何もいらない。この心のありかた、心の生活を大切にしていきたい。Life is gift, time is gift. 命が贈り物、時間が贈り物。これ以上の生活はありません。

 私がどうしてこれを言っているかというと、私は病院に(チャプレンとして)11年間働いてきたのですが、この命は人間には作れないのです。命が宿ることはできる。でも作ることはできないのです。また、時間も作ることができないものです。今ごミサ始まった時の時間は戻ってこない。いくら努力しても戻ってこない。だからこの命と時間は人間には作れないですね。

 病院の3階はお産のところなのですが、全部きちんと準備して、整えて、うまくいくと思っていたところが、時々ちょっと何か起きてしまったら、死産になってしまうんですね。だから死産のあとの祈りを若い人に送っていることも少なくないです。だから命を自分が作ったと思ったら大変な間違いです。命は神様が与えたもの、大切なものです。人間には作れないものです。Life is gift. 命は贈り物、時間が贈り物です。
 時間も私たちには作れないです。時間はいただくものです。命と時間はいただくのもの。時という漢字は、日扁に寺ですね。人間が祈る場所、教会、修道院、神社、お寺。これが人間を新たにさせるところです。人間に余裕を与えて、時間が与えて、悟らせるところですね。だから、慌てて生活する必要ないと思います。

 いま病院で行っている勉強会で、この一年間強く言ってきたことは、心を開いて生活できるように、ということです。私たちが心を開いて生活すると、神様が知らないうちに私たちに恵みを注いでくださるのです。しかし、私たちが日常生活で人びとを形にはめてしまって、こだわってしまって、傾いてしまうと、神様の恵みが働かないのです。神様の恵みが働くためには、開いた状態が必要です。完全にこだわりを乗り越え、形を乗り越えて行かなきゃ。開いて生活することになったら、神様どういうふうに私たちに恵みを与えるか、誰にも何も分かりません。神様のなさる業は計り知れない。神様にとって時間は永遠ですね。だから私たち一人ひとりが自分の生活の中でこれを大事にしていたら幸せだなと思います。Life is gift, time is gift. 命が贈り物、時間が贈り物。

 第2朗読に、「私たちは神に作られたものであり、しかし神を前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエズスにおいて作られたからです。わたくしたちはその善い業を行って歩むのです。」とあります。だから今日私が皆さんの前に来て立って話しをする、ごミサ立てることは、わたしの人間的生活の中にはこの計画はなかったのです。神父様が私に声かけて来ませんかと言った、これが神様がなさった一つの計画ですね。これに対して私たちは柔軟性を持って生活できたら、私たちの生活は変わっていきます。変わっていく力を人間は持っています、けれども神様と協力しなければなりません。協力することは、柔軟な心を持つことです。Flexibility ですね、英語で言えば。 Spiritual flexibility 。霊的な柔軟性が日常生活の中に必要です。

 最後に福音朗読について。イエス様が十字架にかけられた、この永遠の印を私たちの移り変わっていく日常生活、社会の中で私たち見つけなければなりません。移り変わっていく世界の中に、壊れていく社会の中に、過ぎ去っていく世界の中に、永遠を見つけていかなければならない。この永遠の姿が、十字架の姿じゃないかと思います。
 縦の棒が神様と個人個人の関わり。横の棒は人間同士の摩擦の棒です。人間関係はうまくいかないです。上手く行っても、あとで故障が起こる可能性もあります。だから両方一緒にならない限り救いはないです。だから私たちは十字架をとおして復活に向かっていく。これが私たちの生活の神秘です。移り変わっていく中に永遠が見つけていく。縦の棒の関係の中で、横の棒を大切にしていかなければならない。この恵みが皆さんは一人ひとりが自分の生活に実現することになったら、私たちは神様から、人びとから、遠くないと思います。
 半分冗談ですが、これは世界中同じだと思いますが、人間、乗り物に入ったら一番前に座りたいですね。教会、お聖堂に入ったら、一番後ろに座りたいです。日常生活の中に自分が中心になっても真ん中に行きたいです。これが人間の姿じゃないかと思います。乗り物では一番目立つように前、教会では一番早く逃げるために後ろ、社会の生き方では自分が中心になりたい。半分冗談、半分事実です。

 最後に皆さんにお願いしたいことは、どうぞ神父様のために、この教会に関わってきた神父様たちのために、また今の主任神父様、松尾神父様のために、皆さん毎日祈ってほしいです。私たちへの生活を変えてもらいたければ祈りですよ。神父様は皆さんのために毎日祈っていると思いますが、お互いの祈りによって教会は新しくなっていきます。皆さんの祈りが必要です。祈りの漢字も見てください。示す扁はもともと祭壇ですね。祈りは祭壇です。

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